感受性の対象のものが居間にあって欲しい

2011.12.09

ぼくの言いたいのは、文化のランキングに関りなく、その人の魂に本当に関り、時と共に深まっていく感受性の対象がなんらかの形で居間にあることが望ましいということだ。その時々の流行歌やベストセラーやテレビ番組を追っていても暇はつぶれるし、そのようにして居間にいることもできる。しかし、ぼくたちが迎えようとしている無為の時の長さは、決して暇つぶしではもたないのだ。居間には昼間、人が集まって楽しく過ごすことがある。

[参考]
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しかしぼくが居間というものを無為に対抗する空間として思い浮かべる時、そこはいつも比喩としての長い長い夜だ。この長い夜を横切っていくキャビンとしての居間は、知的な要素の存在なくしては空洞と化するだろう。神なき時代の夜に居間に坐りつづけるぼくたちにとって、自分の好きなものたちに時と共に深く関っていき、それを通じて自分に出会う他に、どんな救いがあると言うのか?