ここ数年の間に、各大学で、新しい科の新設や古い科の改組が進んでいる。多くは二一世紀を迎えて、激しく変動する社会的要求に対応する新しい大学、新しい教育の方向性をつくり、模索するためだが、実は問題はそこだけにあるのではない。こうした背景には、「大学とは何か」といった、これまで自明だった事柄が、どうにも見えにくくなっているという、もどかしい現実があるのである。「大学が見えない」とでもいえばいいか。大学とはどういう場で、そこでは本来何を学ぶべきかという、少し前の時代なら、誰も疑いもしなかった事柄が、いま問われているとしていい。
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しかしそのことは、こと大学機関だけの悩みではない。建築をつくる側にとっても、これはある意味でたいへん深刻な問題なのだ。なぜならば、大学が見えないとすると、その見えなくなった大学という場所を、ではいったいどのようなかたちでデザインすればいいのか、それすらも一緒に見えなくなってしまうおそれかおるからである。そのようなことを考えながら、埼玉県越谷市に完成した「埼玉県立大学」(一九九九年)を見た。建築家によるこの作品は、すでにあった短大と新設の四年制大学とを合わせた、新しい保健医療・福祉の大学施設である。それゆえ中心となるのは短大棟と大学棟の二棟で、それらは東西に長く、周囲に広がる田園の中に並んで置かれている。二棟の間には図書館などが配置され、その屋根は緑に覆われ、木でできたデッキが棟と棟を結ぶことになる。